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「これから観に行く上で全く役に立たない映画レビュー」
映画レビュー 平成26年

これから観に行く上で全く役に立たない映画レビュー 平成二十六年七月号

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 ここんとこ毎日暑いですね。仕事から帰宅したらクーラーをつけないとやってられなくなりました。

 まあ、それはさておき。遂にレジェンダリー版ゴジラの公開と相成りました。
 折角なので、一作目とその後シリーズの節目節目に作られたリブート作品の感想を書きつつ、この新作について語ってゆこうかなと思います。


 今月レビューを書くのはこちらの四作品。



ゴジラ(1954年の映画・六十周年デジタルリマスター)

ゴジラ(1984年の映画)

ゴジラ2000 ミレニアム

GODZILLA《ゴジラ》(2014年の映画)


◎今月鑑賞作

・シネパス鑑賞作品
「巴里のアメリカ人」
「ブルース・ブラザーズ」

・「オール・ユー・ニード・イズ・キル
・「グランド・ブタペスト・ホテル
・「her 世界に一つの彼女
・「劇場版仮面ライダー鎧武/烈車戦隊トッキュウジャー


・「GODZILLA(2014年の映画)」(同月二回鑑賞)

 トムがほむほむめいて死にまくる日本原作のトム映画や、実写ラブプラスとしか言いようのないher、アニメ的な表現とコンシェルジュたちのドラマを描いたグランドプタペストホテル、メインライターのぶっちー(虚淵玄)ではなかったものの、「サッカー」という異物をそこそこ丁寧に処理した劇場版鎧武、ついでにシネパスのミュージカル映画二本も良作で、なかなか良作な月ではありましたが、

今月は、ゴジラだ。



◎ゴジラ(1954年の映画・六十周年デジタルリマスター)

〜あらすじ〜

 太平洋上で貨物船・栄光丸が原因不明の沈没事故を起こして消失。その救助に向かった備後丸も続いて遭難し、そのうち数名が大戸島の漁船に救助されたのだが、これも島に帰り着く前に沈没させられてしまう。
 唯一生き残り、大戸島に流れ着いた漁師は「やられただ、舟ぐるみ」と言い残して倒れ、それを聞いた島の古老は島に代々伝わる怪獣・呉爾羅の仕業ではないかと呟く。誰もそのことを信じなかったが、程なくして嵐の夜に巨大な生き物が襲来し、島民に甚大な被害を与えて海の彼方へと消えて行った。

 事態を重く見た政府は生物物理学の権威・山根博士(演:志村喬)を中心とした調査団を現地に派遣。彼らが島で見たものは被害の生々しい爪痕と夥しい残留放射能、そして山よりも巨大な怪獣の姿だった。

 大戸島の伝説に倣い、「ゴジラ」と名付けられた怪獣は、自衛隊の爆雷攻撃も物ともせず、遂に東京に上陸。五万ボルトの高圧電流や戦車砲もゴジラの進撃を止めることは出来ず、東京の街は瞬く間に火の海と化してゆく。
 最早人類に成すすべは無いのか? 潜水士の尾形(演:宝田明)とその婚約者にして山根博士の一人娘・恵美子(演:河内桃子)は、若き天才物理学者・芹沢大介博士(演:平田昭彦)の元へ向かうが――。

※※※



 第二次大戦の記憶も色濃い六十年前、当時の日本国民の実に十人に一人が観たとされる、怪獣映画のみならず日本映画の歴史に新たな一ページを刻んだ一作。この映画がなければ当然「ウルトラマン」は産まれず、その後続変身ヒーロー、怪獣映画だって無かったかも知れないという元祖の元祖。世代によって隔たりがあるものの、普通の人がゴジラと聞いてまず思い浮かべるのは本作のことではないでしょうか(※普通の人は怪獣映画なんて観ないという突っ込みは抜きで)。

 自分がこの作品と始めて出会ったのは、だいたい中学生の半ば頃だったんじゃないかなあと記憶しています。派手な光線と勢いある怪獣バトルが売りのVSシリーズを観て育った世代故に、「白黒で何がどうなっているのかわかりにくい」、「人間ドラマ部分が多すぎる」、「戦闘らしい戦闘がない」初代ゴジラは退屈で、バザーで買ったVHSも然程見返す事はなく、いつしか押入れの中へと消えてゆきました。

 けれど歳を重ね、古今東西数多くの映画を観てゆくと、「こんな昔にこの特撮技術かよ!? すげえ!」という別種の楽しみ方が出来るようになるんですよね。その後の作品と比べても謙遜ない(※実際大作映画とて制作されており、掛かった予算も相当なものであったそうです)ミニチュアセットやゴジラの縫いぐるみ(今でいうスーツですね)に、全長50メートルという巨獣を表現するための技術の数々。粗を探せばキリが無いとはいえ、それをこの昆明期に、手本なんて何も無い時代にやり遂げたという所が恐ろしい。(世代でも何でもない筆者からすると、第一作というオーラと歴史的価値が混同されている感がありますが)

 特撮の神様・円谷英二の巧みな特殊技術もさることながら、本作を名作たらしめ、ここまで語り継がせた理由ってのは、「ゴジラ」という怪獣を「戦争の驚怖」を見える形で具現化してきた部分も大きいんじゃないかなあと。都内のどの建物よりも巨大で、(当時の)最新鋭兵器をものともしない怪物が、街を瓦礫に変えて去って行く。ゴジラに蹂躙される人々は空襲にあえぐ戦時中の市民のメタファーだし、そんな彼らを見下すようにして街を壊すゴジラは戦争犠牲者の憎しみの集合体とも見て取れる訳で(そうした解釈でゴジラを描いたのが『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』だったり)。本作と、後述のリブート二作は「怖いゴジラ」と言うものを徹底的に描いている訳ですが、「ゴジラ」そのものの恐怖感という意味では本作に敵うものは無いんじゃないかなぁと。僅か九年前まで戦争をやっていて、主演からエキストラに至るまで皆戦争経験者ですし、悲しみの演技一つ一つが真に迫っています。

 ただ、後発の作品群と比べて、怪獣登場まで観客を惹きつけておく、という意味じゃちょーっと弱いんじゃないかなあ。初めて顔を出すまでは長いし、肝の東京襲撃もかなり後半。まあ、本作がそれらの始祖であり、裏を返せばゴジラ出現・生態説明はしっかりしているという事なのですけれども。「怪獣」の「映画」としては若干の物足りなさが。

 ま、それはさておき。円谷英二の凄まじき特撮技術によって生を受けたゴジラは、日本のみならず世界各国で大ヒット。この成功が続編・ゴジラの逆襲を生み、その他多種多様の怪獣特撮映画を産み出す事となり――。

<六十周年デジタルリマスター雑感>
 せっかくなのでこちらについても。
 時間と金を掛けて修復しただけあって、画面のチラツキや傷・ゴミといったものが最小限度に抑えられており、大変観易くなっておりました。
 これまで各種ポスターくらいでしか判然としなかった芹沢博士の眼帯下の火傷の跡や、鮮明になって初めて分かる恵美子さんの肉感など、リマスタリングされたからこその発見が多く、幾度と無く鑑賞したファンも楽しめるんじゃあないかなと。
 鮮明になったが故にくっきり見えるようになってしまった戦闘機のピアノ線なんかはご愛嬌。

総合点:★★★★★★★☆☆☆







◎ゴジラ(1984年の映画)

〜あらすじ〜

 初代ゴジラが東京を襲撃してから三十年(※なお、その後に現れた二体目のゴジラ(『ゴジラの逆襲』から『メカゴジラの逆襲』までに活躍した個体)の存在は無かったことにされている)。伊豆大島の大黒島(※現実には存在しない架空の島)が噴火活動を始め、その三ヶ月後、近くで操業していた漁船・第五八幡丸は嵐に依って航行困難となり、何故か大黒島へと引き寄せられてゆく。乗組員はSOSを発するが、直後に消息を立ってしまう。

 翌日、付近をヨットで航行していた休暇中の新聞記者・牧吾郎(演:田中健)は偶然にも難破した第五八幡丸に遭遇。乗り込んで生存者を捜索する最中、巨大なフナムシの化け物(ショッキラス)に襲われるが、唯一の生存者・奥村宏(演:宅麻伸)の助けもあって何とか切り抜けた。

 自衛隊に救助された奥村は、大黒島付近で巨大な黒い影が咆哮するのを目にしたと語る。彼の恩師でもある林田教授(演:夏木陽介)はそれが三十年前・東京に甚大な被害をもたらした怪獣ゴジラであると断定、民衆のパニックを恐れた日本政府は、第五八幡丸は未だ行方不明と発表し、ゴジラの存在を隠匿することに決める。

 しかし、ゴジラがソ連の核原潜を撃沈したことで事態は一変。これをアメリカの仕業だと断定したことで両国に緊張が走ることとなってしまう。日本政府はその際日本の哨戒機が撮影した写真を公表し、ゴジラ報道の全面解禁に踏み切った。

 時を同じくし、ゴジラは静岡の井浜原発を襲撃、原子炉を根本から引きずり出し、放射能を吸い尽くしたゴジラは、渡り鳥の群れに引き寄せられるかのようにして再び海へと去って行った。
 林田教授は渡り鳥の発する何らかの超音波がゴジラ体内の「磁性体」を刺激したのではないかと考え、特殊な超音波でゴジラを火口に誘導するという計画を日本政府に提案する。

 ゴジラの不安が日増しに高まる中、米ソの特使が来日。ゴジラ抹殺に戦術核の使用を要請するが、内閣総理大臣・三田村(演:小林桂樹)は非核三原則の立場からそれを頑なに拒み、ゴジラ対策として核反応を抑制するカドミウム弾を搭載した首都防衛艦・スーパーXを準備する。

 そんな中、遂にゴジラが東京湾に上陸。自衛隊の猛攻も奴の歩みを止めることは出来ず、新宿の高層ビル街への進撃を許してしまうが、そこにカドミウム弾を搭載したスーパーXが到着。ゴジラの活動を停止させることに成功する。

 ゴジラ沈黙の報せを受け、安堵する日本政府閣僚陣だったが、同時に先の上陸時、ソ連が貨物船に載せ、密かに入港させていた衛星上の核ミサイル制御装置が誤作動し、戦術核が新宿に向けて発射されてしまい――。


※※※



 戦争の恐怖を内包した怪獣王ゴジラは、家庭用テレビの台東や邦画全体の斜陽もあってか徐々に低予算・子ども向け路線へと突き進み、「作れば作るほど制作費がかさむ」という深刻な状況へと追い込まれて行きました。予算削減・上映時間の短縮などの憂き目に遭いながら細細と続いてきたゴジラシリーズも、75年の「メカゴジラの逆襲」を以って完全に終了。特撮作品はウルトラシリーズや東映の等身大ヒーローに譲り、文字通り海の彼方へと去って行ったのです。

 それから数年、かつてゴジラ映画を観ていた子どもたちが成長し、復活の機運が日増しに高まる中、東宝はこれまでの子ども向け路線から脱却し、初代の持っていた「恐怖」の要素を多分に盛り込んだゴジラを復活させることとなりました。

 戦後間も無く、未だ国民に根付いていたその恐怖を、ゴジラというアイコンに置き換えて表現した初代とは違い、本作に於ける恐怖はゴジラそのものよりも、「それを相手取った国家間のやり取り」に重点が置かれており、ゴジラの出現に依って米・ソの関係が緊張状態になったり、ゴジラ抹殺の為に核を持ち出すと言った展開からもその辺が読み取れます。「ゴジラが食料の核燃料を吸収している様を、防護服も付けずに至近距離で眺めている主要キャスト陣」という、今思うと滅茶苦茶なシーンには笑いが止まりません。


 流石にそういう専門家を招いて脚本を組んだだけあって、日本国総理大臣や各国首脳が椅子を並べて話し合うシーンにはこれまでのシリーズにはないリアルさがありましたが、その分肝心のゴジラ映画、という部分からしてみると、あらゆる面で「物足りないな」というのが正直なところ。潤沢な予算と制作期間に任せて作られた長大な新宿のセットに、前二作で観客に絶大なインパクトを見せ付けた中野特技監督のトンデモ爆破と、決して見せ場が無いわけじゃあないのですが、そうした所謂「大人向け」の部分に翻弄されていて、爽快感や恐怖感という意味合いじゃあ弱いなあと。

 本作の肝に「ゴジラの体内の帰巣本能を刺激して火山に落とす」というものがあるのですが、幾らそこに至るまでさんざんお膳立てがあったとはいえ、作戦が成功したら何のドラマもなく三原山まで誘導されてくのは正直どうよ。破壊もゴジラのアクションも新宿で十二分に見せたからもういいだろ? ってのは理解出来ますし、これが旧作における「オキシジェン・デストロイヤー」の代わりだというのも分かりますが、さんざん街を破壊しておいて後は電波に釣られて移動しまーす、ってのはカタルシスに欠けるでしょうよと。装置に不具合があるとか、誘導の途中で一悶着起こしたりしていたらちょっとは違ったろうに……。


 そもそも、本作のゴジラは「抗いようのない超常の存在」とは少し違うんですよね。自分が一番巨大な存在で、どんな兵器にも傷付けられなかった初ゴジと違い、日本のハイテクノロジーの象徴たる新宿は、80メートルに嵩上げされたゴジラよりも高い高層ビルが立ち並び、対ゴジラとして出撃する首都防衛艦・スーパーXは未遂とはいえ、カドミウム弾を用いてゴジラを沈黙させましたし、その上ゴジラの帰巣本能を刺激する装置なんてものが開発されちゃって、電波によって三原山の火口に放逐されてしまうという始末。
 バブル景気に向けて突き進む昇り調子の当時の日本にとって、既にゴジラとは「対策の取れる恐怖」でしかなかったのではないかと。自分よりも高い建物、自身の目の高さで撃ち合いを行うスーパーX。火山の噴火でうっかり目覚め、都会にまで繰り出し、挙句また火山に突き落とされた彼は、この光景をどんな気分で見ていたのでしょう。そんなことを考えると何故だか切なくなってしまいます。

 まあ、なんだかんだと言いつつも、本作はそれなりのヒットを飛ばし、五年のブランクを経て、大人向けかつエンターテイメント性を増した続編「ゴジラVSビオランテ」が公開され、「平成ゴジラシリーズ」が制作されることになったのですが――。


総合点:★★★★★☆☆☆☆☆




◎ゴジラ2000 ミレニアム

〜あらすじ〜

 1954年にその存在を確認されてから、幾度と無く日本全土を驚怖に陥れてきた怪獣ゴジラ。近付く漁船を破壊し、北海道の根室に上陸したゴジラは、同街の発電所を破壊し、再び海へと消えて行った。その様相を間近で目撃した「ゴジラ予知ネットワーク」を主宰する篠田雄二はゴジラの破壊の理由は「ヒトの作り出したエネルギーを憎んでいる」と推測する。

 時を同じくし、日本海溝で強烈な磁気を帯びた岩塊が発見された。未知のエネルギー資源の可能性を感じた危機管理情報局(C.C.I)の宮坂四郎(演:佐野史郎)は岩塊の引き上げ作業に着手するが、光を浴びた岩塊は潜水艇の管理を離れ、勝手に浮上してしまう。

 一方、ゴジラは海中を南下し、茨城県東海村の原子力発電所に狙いを定めていた。情報局長の片桐光男(演:阿部寛)は久慈川河口に自衛隊を配置し、新兵器・フルメタルミサイルを用いてゴジラの抹殺を図る。
 自衛隊の攻撃を物ともせず原発に向けて突き進むゴジラだったが、そこに光を浴びて浮上した岩塊が飛来。強力な念動力でゴジラを海上へと追い返すと、自身も河口に突き刺さり活動を停止する。

 先の戦いで偶然ゴジラの細胞を入手した篠田は、宮坂の協力を経てCCIの最新鋭設備でこれを解析。異常とも言える再生・復元能力を持つそれを「オルガナイザーG1」と名付ける。

 その翌朝、自衛隊の管理下に置かれていた岩塊は光を浴びてまたも飛翔。振動で表皮の岩を剥がし取り、UFOとしての正体を表すと、新宿へ向かい突き進む。
 果たしてこのUFOの正体とは何か? そして、ゴジラは――。

※※※



 84年のリブート作から始まった所謂『平成ゴジラシリーズ』は、95年公開のゴジラVSデストロイアに於いて「ゴジラの死」を描き、二度目の眠りに入りました。その間ライバルの『平成ガメラシリーズ』が特撮ヲタクたちの心をがっちりと掴み、ゲーム業界ではゴジラの死と入れ替わるようにして、「ポケットモンスター」が社会現象を起こし、元々ゴジラが持っていたポジションを脅かしにかかるなど、ゴジラを取り巻く環境はどんどん変化して行きました。

 vsデストロイア公開から三年後の1998年、長きに渡る交渉と監督の交代を経て、ローランド・エメリッヒ監督のアメリカ版「GODZILLA」(以下、エメゴジ)が全世界公開されました。否応なしに期待を煽る予告の演出と、ある種の恐いもの見たさによってそこそこの収益を上げたものの、(日本のゴジラが元にしたとされる)恐竜ではなくワニやイグアナに似た日本のゴジラとは似ても似つかないデザイン、餌のマグロに釣られて市街地にまんまと誘き出されてしまうおマヌケさ、そしてなにより、日本のゴジラが現代兵器では傷一つ付けられない頑丈さだったのに対し、本作のそれは機銃でダメージを負い、最終的に十数発のミサイルで仕留められてしまうという脆弱さで全世界のファンを失望させました。

 これに困ったのはゴジラ制作元の株式会社東宝。「このままでは『アレ』がゴジラのイメージとして定着してしまう」と危惧した日本の制作陣は、21世紀に復活させる予定だったゴジラを急遽前倒しにし、1999年・『ゴジラ2000ミレニアム』として再リブートされることと相成りました。


 実は筆者は封切当時本作を観ることは叶わず、本作を真面目にきっちり観たのは今年神保町シアターで行われた『ゴジラ映画総進撃』が初めてでした。
 と言う訳で今回初めてがっつりと観させていただいたのですが、これが思いっ切り拍子抜け。期待を裏切る作品展開を呆けた目で観続ける中、「一度終わったものを復活させる」難しさをスクリーン越しに痛感する次第でありました。


 先の項で語った84ゴジラは「ゴジラに対する日本政府のリアルな対応」に重点を置いており、ゴジラの脅威と、それを如何にして排除するかの一点に集中した映画だったのですが、それから十五年経った本作には、それだけじゃダメだと「ゴジラと人間が戦う」縦筋の隣に様々な要素が盛り込まれています。
 まあ、この時期既にゴジラは子どもから大人まで幅広い層に支持されていて、スポンサーのBANDAIからの要請もあっただろうし、それそのものを否定する気は毛頭無いのですが、そこに引っ張られて、肝心の「ゴジラ」が薄くなるシナリオ運びは正直なところどうなんだろう。只でさえ、復活させてその存在感をアピールさせて行くべき新生一作目だと言うのに……。

 序盤こそゴジラを「特殊災害」のようなものと定義して、それを観測する者、それを乗り越えるべく様々な武器を駆使して戦う者たちの縦筋のドラマが展開されるのですが、物語のもう一つの主役と言うべき「岩塊(宇宙人)」が出現し、ゴジラを一時的にダウンさせると、本筋は完全にそちら側に行ってしまうんですよね。奴は一体何者であるかとか、何をしようとしているんだとかに皆してのめり込んでしまう。
 その辺の煽りをもろに喰ったのが(後にテルマエ・ロマエで見事な裸体を披露した)阿部寛演じる片桐長官。ゴジラ抹殺に執念を燃やすキャラなのに、中盤は岩塊対策に追われてゴジラのことを失念し、ようやくそこから開放された終盤には、既にゴジラ対オルガというタイマンの図式が出来上がっていて彼の介在する余地は無く、最終的に絶叫しながらゴジラに踏み潰されて終了というなんとも虚しい幕引き。オーバーアクト気味の演技が観ていて楽しかっただけに、この扱いはちょっと勿体無さ過ぎる。

 岩塊にしたって、長時間引っ張るだけ魅力のある謎ならゴジラの影が薄くなってもしょうがないかなと納得出来るのですが(リブート作としては許されるものではないにしろ)、終盤で明かされる行動の真意は侵略宇宙人としては「ありきたり」のもので、凄まじい肩透かし。だいたいゴジラの映画なのに、そうした引っ張る部分を敵役の怪獣が一手に引き受けるって状況そのものがあまり宜しくないなあと。

 肝である終盤戦も、所々に最新のCGを投入してはいるものの、殺陣のイメージが似ている1989年公開の「ゴジラvsビオランテ」からあまり進歩しているとは言えず、変に長い分ダレも相当なもの。
 しかも現場に待機している自衛官やメインキャラクターたちは棒立ちでその様子を見守るだけで戦いに介在する事はないと来たものだからたまらない。人間ドラマが余計というか、ドラマと特撮が噛み合っていなくて両方つまらない状態になっていると言うのはそうそう無いんじゃないかなあ。

 とは言え、平成モスラシリーズ三作を経て、『デストロイア』の95年当時から更に進歩した映像技術はなかなか見事。海から上陸したゴジラを実景と合成し、シームレスに俯瞰で見せるカットなど、これまでの技術では困難だった表現には思わず唸りましたし、昔ながらのセット特撮を駆使した冒頭の根室襲撃シーンの迫力・ゴジラの巨大感表現は圧巻。ゴジラの休止中もちゃんと進化を続けていたのだと分かって嬉しくなってしまいます。
 その分、特撮カットと人間ドラマとの噛み合わなさが悔やまれる。敵の宇宙人側に焦点を当てるなら、そっちのキャラをもっと魅力的に描いてさえくれればなあ。

 新世紀の一発目として微妙な第一歩となりましたが、「復活ゴジラ」という宣伝文句も手伝って本作はそこそこのヒットを飛ばし、そのまま「ミレニアムゴジラシリーズ」として再び正月映画として定着するのですが、四年の空白で生じた子どもの怪獣離れは如何ともし難く、過去の人気怪獣を復活させたりもするのですが、興行成績は年々下降の一途を辿り、遂には04年の「ゴジラFINAL WARS」においてまたも休止となってしまい、ゴジラは三度海の彼方へと消えてゆきました。

 この際、東宝は「今後十年間ゴジラ映画は撮らない」と発表し、特撮映画で数多くの水上シーンを撮って来た東宝大プールも老朽化により取り壊され、もうゴジラに復活の道は無いのでは……? と思われたのですが――。

総合点:★★★☆☆☆☆☆☆☆






◎GODZILLA《ゴジラ》(2014年の映画)

〜あらすじ〜

 1999年。フィリピンの炭鉱崩落現場を訪れた芹沢猪四郎博士(演:渡辺謙)は巨大な穴の中で巨大生物の化石と、その体内に寄生されていたと思しき不可思議な『繭』を発見する。崩落は更に先まで進んでおり、辿って地上に出ると、崩落の後は海へと続いていたーー。
 同じ年、日本のジャンジラ原子力発電所に勤務するジョー・ブロディ(演:ブライアン・クランストン)は数日前から発生している電磁波と異常振動を感知し、原発所員に報告するものの、彼らは全く意に介さない。彼は妻で理解者のサンドラを原子炉の調査に向かわせるが、直後不可思議な地響きと共に緊急警報が鳴り響き、サンドラたち調査班は崩壊した原子炉の中に取り残されてしまう。

 ジャンジラ原発崩壊から十五年後の2014年。ジョーの息子・フォード(演:アーロン・テイラー=ジョンソン)は軍務を終えてサンフランシスコの実家に戻り、妻や息子とささやかな団欒を楽しむが、直後領事館より電話が届き、未だ日本に居住する父ジョーが警察に逮捕されたという知らせを受け、急きょ日本に向かうことになった。今なお十五年前の事件を追うジョーは、あの場所でかつてと同じ震動を観測したことで、国があの区域で何かを隠ぺいしていると睨み、放射能汚染による立ち入り禁止区域に指定された場所に立ち入ったことで逮捕されたのだ。
 ジョーは息子のフォードを伴って再び危険区域に潜入するが、そこではどういうわけか放射能の影響は無く、かつて原発があった場所には不可思議な施設が建てられており、巨大な繭が眠っていた。

 やがて、繭は強烈な電磁波を発し、施設を混乱に陥れる。責任者であった芹沢博士は繭の抹殺を決定するが、既に一足遅く、繭の中から巨大な生物が出現。多くの所員を巻き込んで施設を破壊し、東へと飛び去って行く。フォードの父・ジョーも施設の倒壊に巻き込まれ、命を落としてしまう。

 生き残ったフォードは謎の生物の後を追う芹沢博士のチームに招聘され、事の次第を聞かされる。
 先史時代の地球、今よりもずっと放射能濃度が高かった時代、それを糧として生きていた生物がいた。地表の放射能濃度が低下したことで生活の場を地下に移さざるを得なくなり、次々と絶滅していったのだが、各国の核実験によって地上の放射能濃度が高まり、再び地上に現出。今から丁度六十年前の1954年、米軍の原子力潜水艦が海上を移動するその生物と遭遇。日本の大戸島の伝説の怪獣に倣い、『ゴジラ』と称された生物を米軍は《核実験》と称して極秘裏に抹殺を図るが、ゴジラは核攻撃などものともせず、そのまま海の底へと消えていった。
 15年前、フィリピンの炭鉱で発見されたゴジラの同属とされる化石と、そこに寄生していた生物の繭。ムートー(M.U.T.O)と呼称された怪物は餌を求めて海を渡り、日本の原発に辿り着いたのだという。

 最新鋭の機械を狂わす電磁パルスの為、米軍はムートーを補足することが出来ない。その最中、原子力潜水艦を襲ったムートーは、それを抱えてハワイの山岳地帯に上陸していた。後手を踏んでムートー殲滅を図る米軍だが、直後、ムートーを追って別種の巨大生物がハワイに上陸。大津波を起こし、市街地で咆哮を上げるその生物こそ、かつて海底に消えた怪獣王・ゴジラーー。


※※※



 日本のゴジラが三度海の彼方へ去ってから早十年。四度目のリブートはまさかまさかのアメリカ版。
何故アメリカで!?」「またマグロ食ってるような奴になるんじゃねぇの?」「放射能や原発で騒ぐ現代の日本に、その申し子たるゴジラは持ち込めないんじゃない?」――など、など、様々な期待と不安が入り混じり、個人的には「全世界興行収入No.1!」と新聞にでかでかと書かれていても尚不安が拭えませんでした。


 とまあ、そんな不安を抱えたまま劇場に脚を運んだのですが、意外や意外。ギャレス監督の「ゴジラ」は思った以上にゴジラな「ゴジラ映画」でございました。
 それは一体どういうことかを乱暴に箇条書きにしますと、

・ゴジラや怪獣たちを『現代兵器で倒せるでっかいクリーチャー』としてではなく、『人間には抗いようのない天災めいた存在』として描いている

ただ街や島を蹂躙するだけではなく、怪獣同士のバトルアクションが、添え物以上の存在感を持つ

・ゴジラ以上に強烈な個性を持った一個人が話を回すのではなく、あくまで主役はゴジラ、各種主人公格キャラクタたちの行動で進むシナリオ

そして何より、強くて格好の良いゴジラの存在


 ……みたいな部分が、ぜーんぶ守られている、ということです(三番目のは好き好きですので聞き流してください)。
 こう、周りの絶賛や「おかえり!」ラブコールの応酬が気に食わなくて、むしろまたエメゴジみたいにやらかして、日本の観客たちがドン引きするくらいの方が面白いんじゃないかとひねくれた考えを持っていたのですが、ここまで日本のゴジラを理解して、かつ面白い映画を仕上げられた以上、文句なんて何も言えません。まさに「おかえり」と言って迎えてあげたいゴジラでありました。

 初代ゴジラリスペクト、ということもあって、ゴジラの全体像が見えてくるのはシナリオもかなり後半になるのですが、そこに至るまでの積み重ね、話を回すキャラクターたち、そして何より敵役怪獣「ムートー」さんの存在感が強く、観客の緊張感バランスを上手く取っていた印象。
 リブート作に新怪獣を持ってくると言うと、先の項で語った「オルガ(ミレニアン)」の出張りすぎ問題が頭を過ってしまうのですが、その辺もうまーく考えられており、メインテーマをバックにゴジラの姿を断片的かつ謎めいたカタチで映したオープニング(冒頭からスタッフクレジットとメインテーマが流れる構成はなんとなく初ゴジのそれを想起させます)に始まり、冒頭の騒動で自然とは違う奇妙さを示してメインキャラの一人の運命を大きく転換させて行く。ゴジラかムートーか、どちらの仕業が解らないままに話は進み、新怪獣誕生のシーンがあり、ムートーの能力と存在感を描くと同時に、こりゃあ大変だぞォという印象を魅せつける。

 そしてこの後にムートーの「天敵」という形でゴジラの存在が語られ、暴れまわるムートーの前に歌舞伎の真打ちめいて現れ、主役は俺だと言わんばかりの豪快な咆哮。津波を起こし、沢山の人々を犠牲にする此れ以上無い陰惨なシーンなのにも関わらず、ムートーの凶悪さも相まってそれと相対するゴジラはヒーローに見えてしまうという絶妙ぶり。これはずるい、本当にずるい。長々と全体像を見せないところでこの登場にゃあ、ワクワクする他無いじゃないですか。ゴジラ映画の見栄と言うか様式美をしっかり解っている。
 エメゴジと違い、明確に青色の放射熱線を吐く描写もちゃーんと用意されており、回数こそ少ないものの「一種の見せ場」としてしっかり機能しておりますので、詳細は是非是非劇場で確認して欲しいところ。

 勿論、敵怪獣ムートーさんの魅力も十二分に描かれており、ゴジラに倒されるだけの使い捨てという印象にはなっていません。「電磁パルス」を操り、ハイテクメカ全てを使用不能にするという「ありがち」な能力も、この予算と規模で描くとここまでの脅威になってしまうとは。この辺が「デジタルに全てを委ねた」人間への警鐘であると同時に、ムートーを倒せる存在はゴジラしかいないという説得力を持たせ、怪獣同士の戦いに意味を与えているという隙の無さ。なんとなーくゴジラ作品よりも、金子修介監督の「平成ガメラシリーズ」めいた展開ですね。
 しかもこのムートーさん、昆虫や鳥類めいたフォルムをしている癖につがいであり、かつ変な所で色っぽい。人がそのまま着ぐるみとして入れそうな脚のラインも相まってか、オス・メスの対峙する場面は何故か妙なエロスを感じさせます。同監督が手掛けた「モンスターズ」に於けるクライマックスのモンスターたちのシーンとシンクロしてしまうのは気のせいか。

 体内に核融合炉を抱えたゴジラと、それを糧に生きるムートー。因縁を抱えて迎える最終決戦シーンは、これまで殆ど姿を視認できなかったゴジラも出ずっぱり。しかもシリーズ定番の破壊活動がこれまでで最大規模で描かれると言うのだから、もう堪らない。ミニチュアではありませんが、サンフランシスコの街が景気よくぶっ壊されてゆく様はかつてゴジラで育った少年たちの胸を熱くすること請け合いでございます。


 本筋の脇を固め、長時間スクリーンに出張る登場人物たちのドラマも面白い。主役のフォードが家に帰るべく奮闘しつつも、怪獣や情勢悪化によってなかなか帰れないやきもきさは見ていてついつい応援したくなりますし、ケン・ワタナベ演じる芹沢博士の初ゴジに於ける山根博士めいたイメージで、要所要所で重要事項を伝えてゆくところがまたニクい。彼のみ「ガッズィーラ」ではなく、日本語読みの「ゴジラ」を徹底してくれたのも、ただの海外ゴジラじゃ無いんだぜ、って感じて好印象でした。

 ゴジラ、という付加価値を差し引いても十二分に楽しい映画だったのですが、敢えて不満を挙げるなら、本編終了後のエンドロール。それまでにやるべきことを全てやり切ったのは分かりますが、折角ここまでお重にぎゅうぎゅう詰めになった豪勢な食事を堪能したのだから、締めのお茶を飲む前に一息着いて余韻をじっくり噛み締めたいのに、あれでは流石に早すぎる。もーちょっと、なんとかならなかったのかなあ。

 ま、それはともかく。「海外のゴジラ……?」という不安を払拭して余りある素敵な映画となりました。日本が誇るキングオブモンスターに最大限のリスペクトを加えて一本の映画に仕上げてくれたギャレス・エドワーズ監督に、最大限の拍手を。

総合点:★★★★★★★★★☆
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